隔週のボランティア

高校生のときに、ボランティアをしていたことがある。
隔週で月に二回、たったそれだけのボランティア。
メンバーは私と仲良しのキィちゃん、そしてサナちゃんの三人。
私たち三人は高校一年生のときに同じクラスだった。
キィちゃんはとても面白い子で今も仲良しなんだけれど、サナちゃんというのがまぁ、今思い出してもなんであのとき一緒にボランティアをしていたのか不思議なのである。
顔がべらぼうにかわいいサナちゃん、急に自撮り写メを見せてきて「ねぇ、この私すごいかわいくない?」ってこれまたかわいい笑顔で聞いてくる子だった。
当時はスマホなんてものはなく、パカパカとふたつ折りのガラケーが主流だった。まだインカメラというのはそんなに装備されてなかったと思う。
その代わり、パカパカと開く上の部分がぐるりと180°回転して、自撮りするときは画面がカメラの方を向いて撮れる、みたいなものが多かったような気がする。
そして、今のように友達との写真をバンバン撮るような時代でもなかったと思う。
そんなことよりプリクラ。
なによりプリクラ。
からのプリクラ帳。
プリ交換しよー?みたいな。
そんな時代だったので、今みたいに写真を撮って楽しむようなことはあまりしていなかった。
サナちゃんを除いて。
私のちんちくりんみたいな小さいケータイに比べて、一回り大きくて更にカメラのレンズも大きめのケータイを持っていた彼女は、突然自撮りを始める。
みんなで休み時間に話しているとき、話の最中に突然ケータイを取り出し、シャラ~ン♪シャラ~ン♪と撮り始める。
一通り撮り終わったあと、撮った写メを自分で確認して、そして言うのだ。
「ねぇ、この私すごいかわいくない?」と。
かわいい。かわいいんだよ。
でもあまり自撮りという文化がない時代に、みんなで話してるときにそれをやられると、みんな苦笑。
もう、「話聞いてなくてむかつく」みたいな次元はとっくに越えていて、これは一体どう反応すればいいのだろう?みたいな。
ああ…かわいいね…?でしょー?という一連のやり取り。
謎だった。
昔も今も周りの目をものすごい気にする私から見たら、気にしてないように見えるサナちゃんは羨ましいような不思議な存在だった。
私が持っていた某アーティストのアルバムを「貸してほしい」と言った彼女、私だったら家に帰ってすぐMD(懐かしいな)に入れてすぐ返すんだけど、いつまで経っても帰って来ず。
でも聞いてはいるようで、「大きめの音で聞いてたら、隣の部屋にいるお母さんに『なにその変な歌、歌詞が聞き取れなくて変なアーティストだね』って言われたよー!」と笑顔で私に伝えてくる。
あの、私そのアーティスト大好きで、当時のおこづかいからしたら高額なアルバムも頑張って買って、大切に聞いてるんだけど…とは言えず、ハハそうなんだ、と返すしかなく。
たっぷり1ヶ月ほど経ったあと、「元々入ってなかったよ」と歌詞カードがなくなった状態のアルバムが手元に戻ってきたときは、家に帰って泣いた。
入ってないわけないだろうが。
歌詞カードだって大切なのに、と思ったけどもちろん言えず。
そんな関係性だった。

高校二年生になる頃、英語の先生に「こんなボランティアがあるんだけどやらない?」と声をかけられた。
これが冒頭の、隔週で月に二回しかないボランティアである。
学校から徒歩20分はかかる小学校に夕方行って、そこの体育館で行われている、知的に障がいがある小学生の体操サークルのようなもののお手伝いをするボランティアだった。
元々子どもに関わるなにかがしたいと思っていた私は、高校一年生の夏にこれまた学校宛に来ていた「幼稚園の夏季保育のお手伝い」的なボランティアをやっていたので、先生も「こいつこういうの興味あるな」と思って声をかけたんだと思う。
やります!と即答、二人募集しているというので、仲良しのキィちゃんに声をかけてみるとやるとのこと。
しかしキィちゃんは全く子ども関係の仕事とか興味がなく、なんでやってくれたのかわからない。今度会ったら聞いてみよう。
かくして二人で始まるボランティア、と思ったら突然やってきたのはサナちゃんだった。
先生に聞いたよ~三人でもいいって言ってたから私もやりた~い!
別に断る理由はないし、三人で楽しくやろうねー!みたいな感じで初日のボランティアに行った。
もう本当にお手伝いという感じで、体操の先生が親子に説明をしている間に跳び箱出したり平均台しまったり、最後掃除したり、みたいな内容で、でもとても楽しかった。
これから頑張ろう!と思った。
しかし最初は二人で募集してたから、やっぱり三人だと手持ち無沙汰になることも多くて、次から人数は二人で、と言われたので、ローテーションで行くことにした。
まずは私とキィちゃん、次は私とサナちゃん、その次はキィちゃんとサナちゃん、といった具合だ。
二回目のボランティアは私とキィちゃんで行った。無事終わった。
三回目の当日、サナちゃんと待ち合わせをした。
授業が終わってからボランティアが始まるまで少し時間があるから、図書室とかで時間を潰してから行こうと提案した。
するとサナちゃん「あー、今日は行けない」と言うのだ。
なんでよ!一年分のスケジュール出てて、ここは誰が行く日だねってみんなで決めたじゃん!
と一瞬思ったりもしたけど、急用だってあるだろうし、その日はキィちゃんにお願いして二人で行った。
そしてまたボランティアの日、「今日もサナちゃん来られないって言うんだけど…」とキィちゃんが困った顔で私に言ってきた。
今日もか。
いいよ、私なんの予定もないし、今日も二人で行こう!とキィちゃんと二人で行った。

サナちゃんは初日以降、一度もボランティアに来なかった。
次のときも、また次のときも、「行けない」の一言。しかもこちらが確認するまで言わない。
せめて事前に教えてくれ。
私もキィちゃんも、元々行く日と決まってないときはバイトをいれてしまうときもある。
そうすると一人で行かなくてはならず、別に体操の先生側はなにも言わないのだが、申し訳なくて「今日は一人ですみません」と謝るのだ。
別にいい、ボランティアだし、行けるときに行けばいいし、一人でもできる内容だし。
でも、行くと決めて約束しているのに、当日急に行かないって言うのが続くのが、なんだかモヤモヤと気になっていた。
季節は夏を越えたころ、またボランティアの日がやってきた。
今日は私とサナちゃんで行く日。
どうせ行かないだろう。わかってはいるけど確認はしなきゃな、と思って廊下を歩くサナちゃんを呼び止めた。
今日ボランティアだけど、行く?
するとサナちゃんは笑顔で口を開いた。
「あのさー、毎回毎回確認してくるのやめてくれない?
大体なんなの?ボランティアとか。勝手に行ってくれる?
あんなつまんない内容だなんて知らなかったし、めんどくさいし、もう行きたくないんだよね。
ねぇ、なんであんなくだらないボランティア行ってるの?暇すぎない?あなたもやめなよ」
いやいや、なんなのと聞かれても、サナちゃん自分でやるって言い出したじゃん。
先生に内容聞かなかったんかい。
お察しの通り私は暇なんだよ。自分でも驚くくらい暇なんだよ。
行かないとわかっていて声をかけ続けられて、サナちゃんもうざかったんだろうなぁ。
行きたくないなら辞めると一言言って欲しかったな。
と、あまり人に対して強くものが言えないいつもの私なら「そうか、ごめんね」で終わったはずなんだけど、自分が一生懸命やっていることにケチつけられて、受け入れてくれてる向こうの人たちのこともばかにされた気がして、文句あるなら黙って辞めてくれよ!!と思って、珍しく意見を述べてしまった。
行かないなら言ってよ。自分でやるって言い出したんじゃん。向こうも迷惑してるから、じゃあもう二度と来ないでね。
くらいのことを言ったと思う。
私としてはかなり怒って口調も荒く声量も大きく伝えたんだけど、サナちゃんはやっぱり笑顔で「なに怒ってんの?こわーい」と言うだけだった。

そんなわけで二人になったボランティア、高校三年生になるとキィちゃんは受験のために専門的な塾に通うことになり辞めて、私も進学先が遠かったことを理由に卒業と同時に辞めた。
たった月に二回のボランティア、たった二年続けただけだけれど、その後の私の人生にすごく影響しているし、やってよかったと思っている。
今思えばまじで常識のない高校生だったのではと震えるけれど、受け入れ先の体操の先生も、保護者の方も、子どもたちもとてもいい人たちで、楽しく過ごさせてもらった。
サナちゃんとは「こわーい」と言われて以降学校内でも会うことはなく、あのときの気持ちを聞くことはもうない。
しつこく聞いて悪かったなと思うけど、いやでも!と憤る気持ちもあるので、今さら会ってもきっと仲良くはならないだろうなと思っている。

朝の天気予報

毎朝ちゃんと目覚ましの音一回で起きるタイプ。
鳴った瞬間止めて起き上がれるのは最早特技と言ってもいいかもしれない。
ちゃんと目が覚める。
難点は、ちゃんと起きられるのに一時間もすると眠たくなってくることだと思う。

朝は淹れたてのコーヒーを飲みながらまずゆっくり、なんていう生活はしたことがなく、ただ支度をして朝ごはんをもりもり食べて時間になると出掛けるというルーティーンだ。
そもそも子ども舌すぎてコーヒー飲めないし。
別段のんびりしているわけではないけど、バタバタしているわけでもないので、朝ごはんを食べながらぼんやりテレビを見ている。
高校生のときは妹がまだ小さかったからずっとNHKの子ども番組を見ていた。
今はEテレって言うんですって。そうなの?3チャネルじゃないの?あら、そうなの。
大学生になると、周りがめざましテレビを見ているからという理由でめざましテレビをかじり、社会人を始めた頃は朝が早すぎて更に謎の疲れもあって、NHKをじーーーっと見ていた。
職場を変えてからはZIP!、そしてここ数年はグッド!モーニングを見ている。
日々のニュースとかスポーツ情報ももちろんやっているけど、ちょうど我が家の朝ごはんの時間に天気予報をやってくれる。
依田さんという天気予報士さんが、いろんな場所から中継をしながら今日の天気を教えてくれる。
この依田さんという人が、またかわいい。
見た目もかわいいけど、言動がちょいちょいかわいいのだ。
中継先の景色のよさとか売りにしているものを紹介したり、時においしそうな果物やスイーツをこれまたおいしそうに食べ、飲み、「いいでしょぉ~!」とスタジオにいる人に自慢をする。
たまに、例えばハロウィンのときなんかは謎な仮装をさせられたり、変な台詞を言わされたりもしている。
仕事は選ばないで全力でやるタイプなのかな。
今朝は熱中症予防に!という飲み物を作って飲んでいた。
ただ飲めばいいのに、腰に手を当てておいしそうに飲んでいる依田さんを見ると朝から癒される。
コーナーの最初に一瞬だけ画面の下に「洗濯OKタイム」か表示されるんだけど、それをたまに見逃しながら、お味噌汁を飲みながら、依田さんかわいいねと言いながら朝ごはんの時間を終える。
ちなみにこの依田さん、土曜日の夜にも天気予報をやっている。しかも中継で。
お休みとかあるのかなぁと思う。
依田さんが夏休みとかで不在のときは、太田さんというこれまた知的であったかくて優しい雰囲気の天気予報士さんが今日の天気を教えてくれる。
朝の癒しの時間。

TBSに出ている森田さんも昔から大好きだし、日テレの木原さんはそらジロー込みで大好き。
なぜか私の周りはNHKで土日祝日あたりに見ることが多い南さんを好きな人が多い。
天気って生活と切り離せないから、伝えてくれるのありがたいねって話。

小田急線が難しい

三月に仕事を辞めてから電車にあまり乗らなくなった。
いや、普通の状態なら「よっしゃー解放されたー出掛けるぜー!」ってなって毎日のように遊びに行ったかもしれないけど、この世の中の状態である、全く外に出なかった。
それでも先月、どうしても行かなくてはならないところがあってひっさしぶりに電車に乗った。
少しずつ間をあけて電車に乗る人たち、え、私はどこに立てばいいの?隣には座らない方がいいの?電車乗るのってこんな難しかったっけ??状態である。
きっと仕事とかでどうしても外出しなくてはいけない人もいるだろうから、私のような大して用事もない上にやることもない人間はやっぱり家に引きこもってるべきなんだなと実感した。
ものすんごい心配性なので、増え続けてる人数にただただ怯えている。なんとかして。怖いから。

で、電車に乗って思い出したことがある。
社会人一年目も終わろうとするとき、同期のお姉さんと一緒に仕事の用事で出掛けなくてはならないことがあった。
行き先は相武台前駅
なんと私は生まれてから一度も小田急線に乗ったことがなかったのだ。
なぜか。
小田急線がいやなわけでも避けてたわけでもない。
ただ、生活圏内じゃなかっただけ。
普段JRと私鉄に乗ってればどこにでも行けるし、そうなると友達も割とその沿線沿いなことも多くて、乗ったことないどころかなんなら存在すら危うかった気がする。
ごめんね小田急線。
ちなみに同期のお姉さんも群馬から大学進学と共に上京してきた人で、普段東急を使っていたから小田急線は乗ったことないと言っていた。
つまり、二人とも初めての小田急線だった。
そんな私たちはJRに乗って町田に向かい、そこで小田急線に乗り換えた。
実は私人生初の町田でした。後にも先にもその一回しか降り立ったことないわ。
で、問題なのはその乗り換えだった。
私たちはなにも知らなかった。
今だったらYahoo!乗換案内でピッとしてパッと行けるけど、あの頃はまだスマホじゃなくてガラケーだったから、事前に調べたメモとか持って行っていたような。
町田の小田急線のホームに降り立って、なんか一本前の電車乗れるね~早く着いちゃうね~なんて言って、来た電車に乗って。
ずんずん遠ざかっていく町田、そして相武台前駅
知らないじゃん、江の島線なんてものがあるなんて。
絶対表示されてたし、絶対アナウンスされてたし、絶対路線図も貼ってあったのに見なかった私たちが悪いんだけど。
町田からすぐ着くはずなのに全然着かなくて、大和あたりで気がついて転がるように降りて反対方面に乗って、まぁなんとかたどり着いたし間に合ったんだけど、ああいうときって「ギャー!!」というより「あれ…あれ?なんか違う…いや合ってる?気のせいだよね?…え、大丈夫だよね?」ってなんとか大丈夫な方に持っていこうとするよね。
全然大丈夫じゃないから。
早く降りて。
ていうかよく見て、聞いて、調べて。
自分だけの用事とか、百歩譲って友達との約束ならまだしも、仕事の用事で間違えるとか遅れそうだなんて、冷や汗半端ないって。
当時勤めていたのは私立幼稚園だったんだけど、まぁ言うなれば先輩が本当に文字通り死ぬほど怖くてヤバかったのね。
その日は同期と二人きりだったけどもし万が一時間に遅れて「遅れたのよね」ってことが先輩たちの耳に入ったらもうまじで命が危なかったから、間に合って本当に本当によかった。
いくら間に合ったからって、電車間違えただなんて知られたら、「注意力がない、ということはやる気がない」とこてんぱんに叱られるのが目に見えていたので、このことは同期との秘密にしたんだけど、もう10年以上前のことだし時効だろということで。

で、それから数年後、当時通っていたネイルサロンが小田急線沿いにあるからって理由で月一で小田急線に乗ってたんだけど、あの頃感じた恐怖はもうなくて、普通にいい電車だね!となった。
でも気を付ける、いろんな方面に行くから、路線図しっかり見て乗るね。

初めまして、もう7月だし

日記をつけたいと思いながら生きてきた気がする。
Twitterではなく、Instagramでもなく、つらつらと思いの丈を好きなように綴れるような場所が欲しいとか、そんな気持ち。
でも昔から日記は続かなくて、例えば文房具屋さんで売ってるような日記帳は買ったら満足するタイプ、じゃあ予定を書き込む手帳の、見開き1ヶ月の、あの小さなスペースに一言だけ!と思っても全く続かない。
毎日テーマが決められた日記帳も、お店で見ると欲しいと思うしこれなら書けると思うんだけど、でも絶対やらないなとちゃんと自分で見切りをつけて買わない。
でもなんか、日記というか、自分の考えとか思ったこととか思い出したことを好きなように書きたいんだよー!そんな場所が欲しいんだよー!

そういえば遥か昔にブログというのをやっていたことがある。
あれは高校二年生とか三年生の頃だろうか、某J事務所にどハマりして、周りのオタク友達がやっていたから流れにのって始めたブログ。
毎日の出来事とか、コンサートとか舞台に行った感想とか、そんなものをひたすら書きなぐったようなものだったけど、毎日書くのが楽しかった覚えがある。
何年後かに見返すと、あーこんなことあったなーとか思ったりして。
でもそれも短大に行った後社会人になると共に更新頻度が落ちて、ふとしたことであんなに大好きだった某事務所から遠ざかり、まさかの卒業までしたので辞めてしまったのだけど。

もしかしたらブログならいけるかも!と思って登録したはいいものの、アプリの日記すら続かないからやっぱりだめかなぁ。
毎日じゃないにしても、書きたいものを書きたいときに書ける場所にしたいな。
そんな気持ちで始めてみるのであった。

ところで、世の中の人はどんな感じでブログを書いているのだろうか。
中には顔を出して、名前を出して書いてる人もいるでしょ?すごいなぁ。
私は知り合いには絶対見られたくない、じゃあそれこそアプリの日記とか非公開にしろよとも思うんだけど、しばらく公開しながらやってみたい気持ちもある。
どこまで書くか、出すか、自分と相談しながら自分のペースで、お試しという感じ。
あとは、文章を書くと語尾が同じになったりうまく言語化できないことがあるから、そういうのをうまく文字にしていけたらいいなとおもってる。
あの、私のスマホ、文字変換がへたくそで非常にストレスなんだけど、なんで げんごか で 言語化 が出てこないのかわからない。出してくれよ。
まぁ、そんな感じで。

いよいよ7月に入ってしまって、えぇ~もう夏なん~?と驚きを隠せないところ。
今年はなんだか日常が日常じゃないから、変な感じするね。
ただでさえ新しい生活なんちゃらなのに、個人的にもいろいろありまくって、これは現実?と思うことも多々ある。その辺も追々書いていけたらいいな。
近くにいる女子高生のかばんに入っているたい焼き型のパスケースを見て、猛烈にたい焼きが食べたくなる。カスタードが好き。